47の素敵な美術館へ

日本の美術館/博物館/ギャラリーのおもしろさを見つけるブログ。美術史の話なら何でも。ただしゆるゆる更新

あいちトリエンナーレ(2019.10.13-14)

あいちトリエンナーレ http://aichitriennale.jp/

今年で第4回となりあいちトリエンナーレ。行ってまいりました!私にとっては2013年、2016年に続き3度目のあいトリ遠征です。

2019年の今回は、津田大介さんが芸術監督です。津田さん監修の下で出展アーティストの男女比を半々にするなど、開催前から話題になっていました。

何より、開幕3日で脅迫による危険などさまざまな理由を付けられて閉室に追い込まれてた「表現の不自由 その後」展。文化庁からの7800万円の補助金不交付*1。止まらない電凸をみて設置されたアーティストによる電話対応Jアートコールセンター*2など、ニュースをまとめるだけでも十二分な分量になるくらい話題豊富なあいトリでした。

最終日には津田さん自らが各会場に赴いたり、ニコニコ生放送で振り返り配信をしたりと、今回は芸術監督の個性が最も強烈でした。

 

私の愛知遠征は台風が過ぎ去った後で半日ずれ込んでしまいました。13日(日)は抽選時間を過ぎており抽選参加すらできず、14日は予定を調整して3回中2回の抽選に参加して落選。不自由展は鑑賞することができませんでした。

とはいっても、「表現の不自由 その後」展の他の展示作品もとても充実していて、2013年、2016年と足を運んだあいトリの中で一番の満足感でした。

社会的な問いを私たちに投げかけてくる作品が多く、また津田さんのルーツであるインターネット、ICTを強く思わせる要素も展示の節々にありました。

また、過去のあいトリだと、技術や理論に凝り固まって「?」な作品が正直あったのですが、今回2019は柔和で身近で取っつきやすい作品が、体感として多かったです。もしかしたら、開催前から話題になってた出展アーティスト男女比を半々にするという芸術監督の努力が影響してるかもしれないと思いました。

それでもトリエンナーレの作品数、充実さを思うととてもすべては書けませんので、このブログでは、私が観ていて特に気になった作品/考えさせられた作品について備忘録し、その感想に終始したいと思います。

 

不自由といえば、本来ならチケット料金で普通に観られるはずの展示室が一部閉鎖されて鑑賞の自由が奪われました。また、抽選時間は一日のうちの決まった時間に固定されているため、それに参加したい場合はその時間に愛知県美術館に戻らなければなりませんから、スケジュールを組むのにも不自由しました。表現の不自由その後展を閉鎖に追い込んだことで、さまざまな不自由が生まれたのはなんとも皮肉ですね。

会期終了直前~後にも、愛知県庁に寄せられた電凸のこと*3富山県立近代美術館事件*4など、あいトリに関連する記事を朝日新聞がいくつも出しています。

 

愛知県美術館10F

まず訪れたのは愛知県美術館の10F。閉館まで90分くらいだったのですが、映像など時間を要する作品が多く、《10分遺言》に見入っているうちに入館時間を過ぎてしまって8Fに行けませんでした()。

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dividual inc.(ドミニク・チェンさん)《ラストワーズ/タイプトレース》 #10分遺言

10分遺言。自分が死ぬと決まった最後の10分で残す誰かへの遺言を、書いたり消したり直したりする様をデジタル筆跡としてみせる映像作品。タイピングの音があり、展示室の真ん中には実際のPCモニターとキーボードが連動して動いている。

遺言の宛先は恋人、パートナー、子供、家族な人生や出身地、相手との関係が生々しく見えた。時間ぎりぎりになると追い詰められて本当にごめん本当にありがとうを何度も繰り返し打ってる人もいた。人生の最後に言い残したい愛にまみれていて、いいなあと。アップルのキーボードから入力される白地に黒字の明朝フォントだけど謎に温かみがあった。企画が用意したPC端末だから、個人名を打つにも漢字の変換がなかなか出てこなかったり、思わぬ誤変換になったりと、限られた時間の中でヤキモキしている生きた筆跡は生々しかった。

また、コンピュータで写真を加工してドレ―パリーを削除して色の面になっている洗濯物の写真。はたまた、撮影してPOしてはちぎり、それをさらに撮影・合成して…と作られた永田康祐の写真作品。はたまたヘザー・デューイ=ハグボーグの、街で拾ったゴミのDNAから3Dプリンタでフェイスマスクを3D印刷した作品。併せてDNAが悪用されないように、DNAを99%除去できるスプレーも商品化できるレベル動いているなど。10Fは、進歩した技術がもつ表現の可能性がアーティストにインスピレーションを与えたような作品郡でした。

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愛知県美術館8F

展示空間ごとにコンセプトがしっかりしていて、観て周りながら考えることが多かった。おもしろかった。10Fが技術だったとしたら、8Fは社会。8Fは作品のインパクト、社会性や暴力性(爆発とか強制とか)とか思想的な訴えが強くて、作家個々の個性よりも際立っていたように思う。不自由展その後の展示室もこの階でしたし、「展示再開」の赤文字と名声文の掲示も多かったです。

台湾の軍事訓練で誰もいなくなった街の風景をドローンで撮影した映像作品を上映している隣の部屋からは、凄まじい爆音がまる聞こえ。行ってみるとそこには、遊園地と思わしき廃屋が爆破されている映像。

チマチョゴリが天井からカーテンのように下げられた展示室の奥では、北朝鮮の総書記の葬式の映像を流している。その部屋の時点で強いメンソールの香りがしていたのだけど、次の作品の部屋に進んでみると、メンソールの強い香りで強制的に入室した人を泣かせる空間でのインスタレーション

作品個々でとらえると満足な鑑賞の妨げになったと思うのだけど、作品と作品が干渉しあってしまっている展示室の状況は、国と国が影響しあい純粋な聞こえでない今の情勢の反映のようにも思えた。あとは、FedExで世界中に輸送されてバキバキになったガラスケースとか。日ごろ使っている物流、インフラがどれだけの衝撃に耐えているのかみたいなところを、考えさせられたな。

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愛知芸術文化センターの1F

整理券が必要な映像展示、観覧チケットとは別のチケットが必要なパフォーマンスステージなども多いあいトリ。私は時間の都合で一般的な展示のみを観て周りましたが、加藤翼の映像《2679》はセンターの階下にこじんまりと上映されていたにもかかわらず、見ごたえのある作品で、巡り合えてラッキーでした。

和太鼓、琴、琵琶を演奏する3人がそれぞれ離れたフロートの上で背中合わせの向きで楽器を構え演奏するのだが、四肢に巻かれたバンドとそこから伸びるロープで3人は繋がっている。誰がが腕を動かせば誰かの腕が意識しない方向(後ろ)に引っ張られ、満足に演奏できない。眉間にシワをよせたり苦笑いしたりしながら音楽をする。インターネット、SNSによる相互監視が可視化されているようだった。滑稽だね。撮影場所が愛知芸術文化センターの目の前直結のオアシス21というのも地域性があって嬉しい。

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名古屋市美術館

翌日、10月14日最終日。抽選が外れた後は、9:30から開館している名古屋市美術館へ。

大人しい作品が多かったが、桝本佳子の陶器の作品は、古今が混じっていてワクワクした。不自由展の件で作品を一度閉室したモニカ・メイヤー《The Clothesline》は、ふとした時の性差別のエピソードがこれでもかと言うほど寄せられた神社のようになっていて、読むのがつらくてあまり観られなかった。用意された用紙に記入してクリップで自由に留められるようになってるのだけど、「女性=ピンクというイメージが嫌」というパープルの用紙に書かれたコメントが素晴らしい皮肉だなと思った。

SholimのGIFでループする短い動画作品はiPhoneのような端末が壁に貼り付けられていて、津田監督下らしい展示だと思った。

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桝本佳子さんの陶器の街。壺の中は家の灯りや窓のような四角がカラフルでかわいらしかった。

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Sholim

そして、art play groundのあるB1Fに下りると、常設展示室をいつものように解放していて素晴らしい…!!トリエンナーレの特別展ももちろん楽しいのだけど、せっかく遠征したからにはここでしか会えないコレクションの作品たちも観たいもので……チケットもぎりのスタッフさんに、嬉しいですとか声をかけてしまいましたw 

名古屋市美術館 名品コレクション展II 展示作品一覧(2019.10前期)

ジュール・パスキンのインクのデッサンや版画の小品が、小展示としてまとまって出ていました。描き込みが多いものもあれば、少ない線で人物や情景を表していて、それでも個々の特徴が身なりだけでなく立ち振る舞いにも表出していて、見入ってしまいました。繊細で、観ていて楽しかったです。

そして注目は、今年6月に寄贈された藤田嗣治の油彩2点*5。1枚は《二人の祈り》(1952, oil on canvas)。マリアに跪くフジタとたくさんの子どもたちが描かれた作品。人体がマニエリスムチックにくねくねしていて、いかにも宗教色が強い。もう1枚は、横たわる裸婦が描かれた《夢》(1954, oil on canvas)。天蓋から下がる白地カーテンの青い線の装飾が中世のラブロマンスっぽい物語のようなで、また同時に夢の内容も描いているようで、見応えがありました。名古屋市美のコレクションは撮影NGなので残念ですが、どちらもおもしろい作品だったので皆様も白川公園へ足を運ばれた際には必ずや。

 

四間町・円頓寺エリア

今回のあいトリ、歩いて回りやすかった。普段は東山線鶴舞線しか使わない私ですが、今回は桜通線名城線も活用して、国際センター駅へ向かい、四間道(しけみち)・円頓寺エリアを散策しました。

展示数や展示箇所が点在していると、どうしても「作品を観てまわる」行動をしてしまうのですが、今回のあいトリはすべてのエリアがメトロだけで周れるし、極端に遠くにあるわけでもなく、訪れた場所にはどこも来た甲斐のある&観やすいヴォリュームで作品が集まっている。だから、観られる作品数に対して見積もっていた時間に余裕ができて、結果街を散策してのんびりすることもできた。神社に立ち寄ったり、商店街の喫茶店でお昼のサンドイッチを食べたり。

伝統的な家屋がメトロで数駅の名古屋市内にこんな蔵の町並みが残っていることに驚いた。そういう日本古来の家屋の風景は、岡崎市や遠方のものとばかり思い込んでた。なぜこの街がこれまで舞台にならなかったのかが知りたい(…おかざえもんの関係かな?w)。

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このエリアでは、商店街を抜けた先にある雑居ビルで見たキュンチョメ《声 枯れるまで》の映像がよかったです。性を変えたり違和感を覚えたりしたことで、自分の名前を付け直したFtMMtFあるいはXジェンダー3人のドキュメンタリで、ドキュメンタリの終わりには新しい自分の名前を声が枯れるまでひたすら叫ぶというもの。

ディレクターorキュンチョメが「あなたの名前は?」などと問いかけてそれに対して自分の名前をひたすら答えて叫ぶのだけど、もはや後半はやんわりした喧嘩みたいに聞こえてきて(笑)過去の名前と戦っているようにさえ見えた。

3人の貴重な経験を知ることができたとともに、私自身「ゆうき」という中性的な名前で、気に入っている半面でアイデンティティを左右されている部分も多いので、親近感をもって見ていました。映像手前の小さな部屋(給湯室ぽかった)で上映されてた、書道で書いた名前の上に赤い墨で新しい名前を一緒に上書きする映像も興味深かったです。新しい名前をどうやって知らしめるか、定着させるか…という発想がおもしろかったです。

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浅間神社

 

art play ground

名古屋市美術館B1のラボでは布を使った創作ができるスペース、愛知県美術館8Fは対話の「はなす」アートスペース、10Fは段ボールで公園やアスレチックのような遊び場を自由に工作できる「あそぶ」スペースになっていました。豊田市美術館は人に向けて表現し伝えたいことに関する「しらせる」スペース(行けなかった…!)。そして基地的な意味で拠点になっていたのが四間町・円頓寺エリアの「もてなす」アート・プレイ・グラウンドでした。なんとも津田大介さん的な発想でわくわくした。あいトリ参加者からはこの場を訪れた人に手書きでアナログに情報をもらいつつ、オンラインで5つのスペースすべてを繋いでいる。開催後もこの情報は活用するということをボランティアの方は仰っていました。どう使われるのか楽しみです。

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町内ビッグデータ。町に関するさまざまな情報、逸話を手書きしたメモが蓄積されている。

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町内マップ。あいトリエリアの地図に町の情報が付箋で掲出されている。喫茶店など飲食店のおいしいメニューに関する情報まで。お昼の参考になりました。

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art play groundの様子がリアルタイムで中継されてオンラインで繋がっていた。

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「もてなす」art play groundが入っていた家屋

 

豊田市美術館

表現の自由展その後の最後の抽選が干されると、残念だったなという気持ちよりも、これで心置きなく豊田へ行ける…!の喜びと共に気持ちが軽くなりましたw 大好きな鶴舞線豊田市へ。

名古屋の社会性のエッジがききまくってる展示室から一転、豊田市美では花の印象が強かった。天井高の展示室でのスタジオ・ドリフトの作品は、寝転がって上から振ってくるペチコートのような形状の白い生地を見ていると、一輪咲きの花が咲いたり閉じたり茎を伸ばしたりしてるのを真上から眺めているような錯覚に陥って、楽しかった。

写真作品のタリン・サイモン《公文書業務と資本の意思》もとても印象に残りました。あまりに美しい花の写真郡なので、なかなか展示室から出るのが惜しい時間だった。

これらの写真は、公印の際に国から国に贈られた花を記録から品種や色を特定して再現している。花のある風景は壁とテーブルではなく、それを思わせる2色の色の面で構成されていてまるで国旗のよう。一見すると美しい写真だがフォーマルな国交の歴史を内包していて、とても社会的。

花や儚さのイメージがあるのは、同美術館で行われたカルペ・ディエム展*6を思い出したせいかもしれません。豊田市美らしい内容と思いました。

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タリン・サイモン《公文書業務と資本の意思》

そして名古屋市美同様、豊田市美術館コレクション展示室を開いているのが偉い。同時開催で東京都美術館から巡回してきたクリムト展に合わせて、クリムトと共にウィーン世紀末の画家で、同館がコレクション収集に力を注いでいるエゴン・シーレオスカー・ココシュカの油彩、素描、版画を展示している。すばらしい。これでこそ豊田市美術館。日本近代の和洋折衷な日本画もとても好き。下村観山のしゃれこうべも良い。

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豊田市美術館常設展示室2019.10

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エゴン・シーレ《座る少女:シュテファニー・グリュンヴァルト》(1918)

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下村観山《美人と舎利》1909年、膠彩・絹布


そして、グーグルマップに翻弄されながら美術館への坂道を3回くらい上り下りして←、プールにやっとたどり着きました。美術館のすぐ裏手に学校の跡地があったなんて知らなかった。プールの底がモニュメント化している迫力が凄まじい作品ですが、新施設が建つ都合で近年のうちに取り壊されることも想定したアンチモニュメントだそうで。建て替えってつまり、ビルドする前にスクラップすることだし、そう考えれば愛知県美の展示室でも「壊す」映像があった。取り壊しという社会背景。

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高嶺格

という具合で、私のあいちトリエンナーレ2019の旅は豊田で終わり、新幹線で愛知を後にしました(´ω`)


愛知県美術館の閉会の様子はツイッターでも動画が流れてきましたが、拍手喝采で、シャッターが下り切っても鳴りやまない*7、それを帰りの新幹線の中で見ました。早くまたいろんな美術館に行きたい!と、今年に入って再び燃え出していた美術熱がさらに高まった。"楽しかった"の余韻と、これからの"楽しみ"、に浸りました。心地よい疲労感、何よりも充実感がすごい。早くあいトリ2022が観たい。

 

社会で生きている人々が作り出す作品から、社会的な疑問、テーマは切っても切り離すことなどできない。綺麗なだけが美しさではなく、目でみて美しいだけがアートではない。アートって最高に楽しい。

素晴らしいトリエンナーレを見せていただきました。津田大介さん、本当にありがとうございました。

 

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*1:公金使った美術展は制約されるのか 「不快」はダメ?:朝日新聞デジタル 2019年9月27日11時35分 https://www.asahi.com/articles/ASM9V4H7CM9VUCVL016.html

*2:高山明が「Jアートコールセンター」を設立を発表。アーティストらが電話対応|美術手帖 2019.10.6 https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20690

*3:「あんた日本人?」鳴りやまぬ電話・泣く職員…電凸ルポ:朝日新聞デジタル 2019年10月15日14時00分 https://www.asahi.com/articles/ASMBC3WHKMBCOIPE00H.html

*4:天皇焼いて踏んだ」批判は残念 作者が思う芸術と自由:朝日新聞デジタル 2019年10月14日11時43分 https://digital.asahi.com/articles/ASMBB3FZMMBBULZU007.html

*5:この令和元年6月に寄贈されたフジタ作品について、画像引用付きのブログがありました。→ 藤田嗣治名作2点「二人の祈り」「夢」 名古屋市美術館へ寄贈 名古屋の収集家 2019/6/21 https://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/43fa3ad02b104708066b4f6299a8cacd 

*6:展覧会「カルペ・ディエム 花として今日を生きる」CarpeDiem. Seize the day(2012.06.30-2012.09.23) https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/Carpe-Diem/?t=2012

*7:あいちトリエンナーレ2019が閉幕。65万人以上で過去最高の入場者数を記録|美術手帖 https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20727

早稲田大学創造理工学部建築学科「設計演習A展/転換展」(2018.8)

ヲタクで知り合った友達が早稲田で建築を勉強しておりまして、声をかけてもらってちょうど行ける週末だったので行ってまいりました。昨年夏には一緒にアルチンボルド展を観に行った子です。知り合った時は我々、イケイケJC(ただし落ち着きすぎてる)とオワコンJDだったのにね……感慨深い。

早稲田に降り立ったのは初めて。賑やかながらお寺さん神社さんが多く、夏のオープンキャンパスをやっているからすんごい人!!祭りか!?ってくらいの人で、その流れに乗っていったら早稲田キャンパスに無事到着。今回の展示をやっているのは小野記念講堂のワセダギャラリーでした。オープンキャンパスを観に来ていた生徒や親御さんが多かったです。普通におもしろい展示だったし、下手なアートギャラリーよりよっぽど見ごたえがあってワクワクしました。


早稲田大学創造理工学部建築学科「設計演習A展/転換展」 

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1年が履修できる演習科目で、話を聞いているととにかく毎回課題が出て、即日提出の課題(取り組める時間4時間程度)から、数日、週間単位まで様々なヴォリュームの課題が出されるそう。建築なので、製図とか断面図とかそんなものを思い浮かべていた私ですが、身体や気になった事象のデッサン、観察記録、文章、かわいらしい壁新聞のようなレポートから妄想の吐露まで、とにかく「頭でつかんだイメージを、目に見えて伝えられる形で表現するための速記力」をひたすら鍛える課題とのこと。中には「自分で課題を設定してそれに答える」という課題まである。ひょえ……

話を聞いていると学生1人ひとりの個性や経験(とそれに伴った知識)はとても若者と思えぬほど多く、得手/不得手もはっきりしてる。だからこそ打ち返せる球(課題)という印象。まったく甘っちょろいものではない。ちょっとしか読んだことないけど「ハンター×ハンター」みたい。ひたすらに創造性やアイデアの統率力が求められていて、さすが日本のトップ大なだけあると凄みを感じました。

展示物は平面・立体ともにあって、担当教員ごとにまとめられて展示されていました。どの出品作もとてもおもしろくて、思わず声を出して笑ってしまうものもたくさん。日常になっているささやかな事(ネタ)を丁寧に取り上げて課題の答えとしてまとめているから、どれも深みがあってじわじわと面白い。公表回の講義の映像も流れていて、先生のレビューも饒舌でずっと見ていられる。

本当にたくさんの優れた作品がありましたが、その中から私が最もじわったものをいくつか上げたいと思います。写真はどれも撮影OK、SNSなどどんどん載せちゃってくださいとのことでした。

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私的最優秀は「三途の川体験記」。死者が渡るという三途の川の現在(まさに作者の妄想)をルポルタージュで描く。それによると三途の川周辺も観光化、技術の現代化が進んでいるようで、大変親近感がわき読み進めるごとに引き込まれていった。この方の「××体験記」、他の空想世界もレポしてほしい。浄玻璃の鏡とか、天の川とかそういうところ。課題に対してこういう回答もありなんだなー。他の課題では、記憶喪失になる自分へのマニュアル本のようなものも書かれていて、睡眠時間確保の大切さなど大変共鳴しながら拝読しました。この方の本が出るならぜひ読んでみたいと思いました。

 

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街を観察したりヒアリング調査したりしないと完成できない課題が、即日提出によくあるらしい。特に「何人かの人を取材して素材を集めて」提出できる形にまとめるという技術を磨くのは、私だったら絶対に知らない人に声掛けとかできないから目を見張ってしまった。これの写真の作品は、様々な属性の女性8人の手を観察し、人的特徴を見出そうというもの。おもしろい。コラムとしてのおもしろさがあるし、ギャルの手が凄い。受講している学生を入れることでオチまできちんと付けている。

 

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「役に立たない機械」という発想の転換的な課題自体がとてもユニークなんですが、これに対する学生の回答も面白い。キットカットを逆関節に割ってくれるマシーンとか、スノードームの中身が詰まりすぎて全然楽しめない「豪雪ドーム(修行僧入り)」、茶柱を固定して浮かせてくれる器具など様々。どれも「機械」っていう定義になるのも興味深い。
写真の「マイテンプレート」は、自分の手書き文字をプラ板でテンプレート化して、その溝をなぞれば自筆と同じ文字を書けるというもの。製作工程からして「手書きした文字をイラレに取りこんで…」と、いろいろと役に立ちそうにない優れた作品。

 

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この日一番画期的だったもの、ぜひ欲しいと思ったのはこの「絶起チェッカー」。絶望的な時間に起床(絶起)してしまったときにマシンに曜日、天候の2種類の段パーツをはめこみ、自分が起床した時刻に位置からビー玉を転がすと、「朝食を食べていいよ」or「ただちに学校行け」の2択に自動で答えを出してくれます。発想が天才。最高。これでもう朝迷って時間を無駄にすることがないし、客観的な判断なので決心も付く。欲しい。私のパターンも作ってほしい。
この作者、後に制作した”陽を浴びるための日傘”(開くと大きな穴がぽっかりと開き日光を浴びることができる)が天才バカボンのドラマに出演したらしい。でもどっちも制作物としてのビジュアルがちょっと微妙なのがまた、自らの才能を操りきれていない感があって良い。まさに天才って感じ。ファンになりそう。

他にも、空想で廃墟をリデザインしたデッサンや、早大あるあるネタが盛り込まれた回答などなど、挙げればきりがないくらい面白かった。予定していた以上に見入ってしまった。どの課題に対しても真剣に、直感的に取り組んで回答を提出しているから、どれもある意味では奇を衒っていなくて、金銭的・権力的な綱引きがないからどれも純粋なアイデアが光っていました。彼らは建築の学生さんですけど、このままできるだけ無垢に、いろんなものを創り続けてほしいし、そのような環境が講義の外側にたくさんあってほしいなと思いました。

また機会があったら行きたい種類の展示でした。声かけてくれてありがとう!会期終了お疲れ様でした。

至上の印象派展 ビュールレ・コレクション(2018.5)

国立新美術館 http://www.nact.jp/
至上の印象派展 ビュールレ・コレクション http://www.buehrle2018.jp/

私、学部生のころ美術史学生の研修旅行でスイスを訪れた際、ビュールレコレクションを観ております。2007年9月のことです。今回目玉作品にされているイレーヌ嬢や、セザンヌの赤いチョッキの少年に、11年ぶりの再会です。

開催挨拶を読んでショックだったのが財団の美術館を閉館し、チューリヒ美術館の展示室に移るとのこと。ビュールレ・コレクションは、チューリヒの伝統的な民家を美術館として作品を公開していましたが、2008年2月に起きてしまった痛ましい強盗襲来と作品強奪を受けて、その決断をせざるを得なかったとのこと。*1

あの事件の衝撃は今でも忘れることができませんし、知り合った大切な友達が誘拐された気持ちになりました。今はただ、よくぞ戻ってきてくれたと胸をなでおろすばかりです。また、自分は当時現地でコレクションを観ることができて、大変貴重な経験をしたんだなと改めて思いました。

興味深い作品はたくさんあって、ゴッホの《日没を背に種まく人》は11年前には自力で気づくことのなかった発見があり、構図を観る力がついたんだなあとワクワクしました。あと、どの作品も美術館のホワイトキューブに移ってみると、どの作品も思ってたより小さいなぁと感じました。民家の一室に飾ると1枚でどれだけの存在感があるのかがよくわかりました。

 《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》

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 ピエール=オーギュスト・ルノワール 《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(Little Irene)》(1880年)oil on canvas

財団の美術館である民家で対面した時には、ピアノのある一室の開口部横の壁におもむろに飾られていました。画集で観たことあったのにこんなところに…!?()と驚いた。しかも反射がすごくて画面がテッカテカだったのですが(笑)ニスが塗りたくられてるのかと当時は思いましたが、今回の展覧会ではストレスなく鑑賞できたので、ミュージアムガラスにしてもらったんですかね。あるいは照明の仕業。

もちろんイレーヌ嬢の描写の美しさは変わりないのですが^^気づいたのは手。こんなけ着飾ってお姉さんのように描かれているイレーヌ嬢ですが、モデル当時8歳。その幼さが手に表れているなと思いました。肉感のある柔らかそうな手をしていて、指を丸めて両手を重ねている。

きっとカーン・ダンヴェール夫妻がとびっきりのおしゃれをさせて画家の前に座らせたのでしょうけど、お嬢さん本人は恥ずかしいのか緊張しているのか、ちょっとませた表情をしてるけど内心では「はいはい良い子にしてればいいんでしょ」と呆れ気味なのかもしれない。ルノワールおじさんは少女をお見通しのように細部まで描かれてますね。お見事。

《ピアノの前のカミュ夫人》

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 エドガー・ドガ 《ピアノの前のカミュ夫人(Madame Camus at the Piano)》(1869年頃)oil on canvas

最初の肖像画の章にあった作品で、ドガの構図の取り方、示唆的な細部の描写はとても優れていると思い出した1枚。

モデルは、ドガがかかっていた眼科医の奥様でピアニストのカミュ夫人。画家の視力に支障が出ているということもあるのか、薄暗い部屋でピアノの鍵盤の断面は白の一直線で描かれていて鍵盤のキーの境界はありません*2。鍵盤の白のラインと並行しているのが絨毯の端、机に積まれた楽譜の側面と呼応しています。楽譜の背表紙のほうのラインは、夫人の足元のクッションと並行しています。緻密に計算された構図です。

何より気になったのはアップライトピアノの上にあるもの。ピアノの上には貴族のような男女の置物が置かれて、右側の女性の置物のほうは壁に影が大きく伸びている。その光源をたどると、譜面台の左右の蝋燭。当時のピアノによくあった燭台が置かれていますが、右側(女性側)の蝋燭がついているのに対して、左側(男性側)の蝋燭は火が消えています。また蝋燭は両方ともとても短くなっている。

カタログを読んだところではその表現に現実的意味合いがあるのかを確認できなかったので、私のただの空想ということになりますが……医者夫婦の関係は実は冷えていたとか、さらに画家が35歳ころにこれだけ熱心にある女性を描いているとなると…など、いろいろ想像してしまいますね。

《リュドヴィック・ルピック伯爵とその娘たち》

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そして憶測といえばこちら。イレーヌ嬢と同じ展示室内ということもありゆっくり観ることができましたが、通り過ぎていく人々から「左の子がこわい」という声しか聞こえなかった。

そういえば学科旅行の時、先生からはこの絵が《操り人形》と呼ばれていたことを教えられた記憶があります。現地のカタログを観ても、本展覧会のタイトルと変わりがないので通俗的な呼び名なのかもしれませんが、左側に描かれた子が非人間的に見えるという事実は変わりないようです。

あるいは、ドガの視力が弱まっていってたことを考えると、日陰にいる女の子がこのくらいの暗さで見えていて、日向のほうにいる右側の女の子とこれだけのコントラストで描かれていてもおかしくはない。一方で、画面左側の女の子がルピック伯爵の右腕に乗っかっているというのが不思議で、むしろ背中にある穴に手を入れてマペットのように持っているとしたらそれが自然な位置のように思えるというのも一理。

 

どちらのドガ作品もエビデンスはまったくとれていませんけど、観れば観るほど発見があり様々な読み解き・想像ができる作品は、深みがあっておもしろいですね。

自分が向き合っていた近代美術史がメインの導線で、思い入れのあるコレクターの良質なコレクションを眺めることができてとても刺激的な展覧会でした。

 

おまけ、国立西洋美術館ドガ(2017.7)

ブログを完全にサボっていたのですが、昨年2017年夏にアルチンボルド展を観てきました。長い付き合いで目下建築を勉強中の学生の友達に「美術館の建築も楽しいのよ!」と熱弁したところ「じゃあ一緒に行ってみよう」となり、コルビュジェ建築が世界遺産登録されて話題の国立西洋美術館に行きました。

夏休みということもあり朝からすごい人。矩形に区切られた目玉の展示室では、どの作品の前も常に人だかりが絶えず賑わっていました。隣の一角には同じ作品の拡大パネルが並んでいて、知り合いとああだこうだと話したりパネルを指さしながらゆっくり観てまわる人々が多数。自分も今回は二人でお話ししながら作品を観てまわれてとても良い時間でした。

この時に西美のコレクションで観て気になったのもドガの作品でした。新所蔵のピンクの札がついていました。 なんだろう、こんなに気になるなんて恋かな(?)

《舞台袖の3人の踊り子》

この作品観たことあったっけ?には3種類あって、1つは単純に以前観た記憶が抜け落ちている場合、1つは展示室に出てくる機会がなくウェブや図版で観たことあっても実際お目にかかるのが初めての場合、そしてもう1つは本当に新所蔵ではじめましてのもの。今回観たドガは"はじめまして"でした。2016年度購入の新所蔵です。

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エドガー・ドガ 《舞台袖の3人の踊り子 (Three Dancers in the Wings / Trois danseuses dans les coulisses)》(1880-85年頃)oil on canvas
エドガー・ドガ | 舞台袖の3人の踊り子 | 収蔵作品 | 国立西洋美術館

2016年度購入の新所蔵のようです。青や白で描かれることの多いドガバレリーナが、黒基調で描かれるなんて新鮮です。舞台袖ということですし、暗転した幕間あるいは本番前でしょう。緊張感が伝わります。三人の背後には黒い高い帽子のような四角形がみえますが、バレリーナと一緒によく描かれることが多いパトロンのシルクハットでしょうか。人物は皆画面の右側に配され、大きく空間の空いた左側はなんだろう。後ろのほうにぼんやりと描かれてるのは、ラックにかかってるバレリーナの衣装でしょうか、なんだろう…。

アルチンボルド展で疲れ切ってたから細かく観られなかったな^^;今度観に行ったときにもっとじっくり観てみよう……そう思えるのも館のコレクション展示の良いところですね。

 

ところで、西洋美術館のウェブを見てみたら、館内マップ内の番号のところがクリックできるようになっていて、選ぶとそのエリアに展示されている作品の一覧が表示されるようになっていました。そこのリンクから作品個別のページに飛べるようです。おもしろい仕掛けだし、「あのあたりにあった絵…」なんて思いながら回想することもありますから、便利ですね^^

常設展|国立西洋美術館

*1: HUFFPOST『「反体制」「武器」「強盗」「裁判」――数奇な運命をたどった印象派コレクション』 https://www.huffingtonpost.jp/foresight/buehrle-collection_b_17653388.html (2017年08月03日)

*2:習作の部分デッサンにはきちんと鍵盤のキーを分ける線がありました。習作デッサンもビュールレコレクション所蔵を確認

横浜美術館(2017.2)

早いもので2016年度が終わってしまいました…半年ぶりの更新です;;;美術史の勉強をしてギャラリーでバイトをしていた時はアート界隈の情報しか追っていなかったみたいなところがあったのに、今全然違う仕事をしていると、テレビもないしツイッター見ない限り情報は見事に入ってこないし、生活の外に出てしまうとこんなにも情報が偏って、美術館から脚が遠のいてしまうんだなとしみじみ思います。

最近はもっぱら外出をする時に一緒に最寄りの美術館にいく、というスタイルに替わりつつあります。そんなわけで、2月にAKBの握手会で横浜に行った際に立ち寄った横浜美術館常設展の感想など書きます()

 

横浜美術館 http://yokohama.art.museum/index.html

企画展では「篠山紀信展 写真力」をやっていたのですが、東京オペラシティ宮城県美術館で観たものと表題が同じ巡回展のようなので三度目は入らず*1、常設展のみ観てまいりました。

 

「写真」全館展示 コレクション展2016年度第3期

今期は篠山紀信展に絡めて、写真の大規模なコレクション展。各美術館が所蔵する作品でどのような展覧会ができるかというのも、美術館の1つの楽しみ方です。

横浜美術館の力量ならコレクション展だけでも十分だろうと思って入りましたが、その想像を越えてとても充実した展覧会になっていました。図録の形で残らないのが惜しいくらい。とにかく盛りだくさんでした。出品リスト(以下PDF)がなんと29ページに及ぶという(笑)こりゃ紙面で常備配布できないですねw

横浜美術館コレクション展 2016年度第3期 | 開催中の展覧会・予告 | 展覧会 | 横浜美術館

作品リストPDF→ http://yokohama.art.museum/static/file/exhibition/listofworks2016_3.pdf

第1部は「昭和の肖像 ―写真でたどる「昭和」の人と歴史」と題された近現代日本の写真。紀信展の流れか、著名人を写した写真から始まりました。美空ひばりさん、若かりし日の吉永小百合さん、工藤静香さんなど私でも知ってる芸能人や、川端康成松本清張上村松園横山大観など文学・美術の一線を担った作家。そこから戦中戦後の被害都市、高度経済成長期の東京の風景などなど、まさに日本の写真史を一斉回顧する内容。 

ここで既にひと息つきたいほどの内容なのですが、後半の第2部「"マシン・エイジ"の視覚革命-両大戦間の写真と映像」では、20世紀に戻りカメラオブクスラが誕生した100年前の欧米の貴重なコレクションが続きます。これまでの横浜美の展示でもたびたびお目にかかってきた作品もありましたが、しかしヴォリューム半端ねぇ(笑)

 

《カメラを持った男(Chelovek s kino-apparatom)》

個人的に私は19世紀末から20世紀前半の文化(美術、音楽、映画いずれも)に惹かれるものが多いので、写真やフィルムに写された文化は興味深いものばかりでした。休日に写真の歴史を巡るのには十分すぎる充実さでした。

その中でも特に、第2部の導線の最後にあたる写真展示室の1番奥で上映されていた《カメラを持った男》というフィルムが大変面白かったです。

展示室での上映なのでどうしても途中からの鑑賞になってしまいますが、当日なら1枚のチケットで再入館ができるので二度に分けて全編を観ることができました。60分以上あるサイレントフィルムにこんなに夢中になるなんて思いませんでした。


《カメラを持った男》は ロシアのジガ・ヴェルトフ作、1929年上映(日本では1932年)のサイレントフィルムです。
検索してみるとYoutubeでフル動画がいくつもアップされていてDVD化もされているようです。ただ動画にはどれも音声が付いていますが、展示室では音声は一切ありませんでした。そしてやはりデジタルではなくフィルムで、大きなスクリーンで上映されているものを観ることが非常に意味があるなと感じました。そのフィルムが横浜に大切に保存されているのですから有難いことですね。

www.youtube.com

ジガ・ヴェルトフ 《カメラを持った男 (Chelovek s kino-apparatom)》(1929年)
ビデオ(16mmフィルムより変換、オリジナル:35mmフィル ム)、66分 

"カメラを持った男"が日常の風景を撮影したものがつぎはぎ、合成されている中で繰り広げられるドキュメンタリー的な映画です。「演技や演出の力に頼ることなく物語っぽい映像にする」というのが監督のモットー。物語を意識せずに当時の風景を眺望できるのでぼんやり見ていても面白く、機械などを映している場面でも切り取り方が綺麗で無機質ではないんですね。むしろずっと見ていると生き物や別の何かのように見えてきたり。

当時の大衆や日常風景を撮影した映像を繋ぎ合わせて構成されていますが、複数のフィルムを合成して加工したり、ストップモーションでモノが勝手に動いていたり…。特殊な編集技術と効果の数々が後世の映像制作に大きな影響をもたらしており、映画史に名を残す作品であるとのこと。

展示室の説明書きに書いてあった引用例では、映画「インセプション」が挙げられていました。2010年のアメリカSF映画インセプション」はたまたま観たことがあります。物語も演出もとても面白い作品でした。
「カメラを持った男」からは、例えば"広場が左右に割れるシーン"が引用されているそうです。どこのシーンのことかは、映像を見る前にすぐにピンときました。夢の中ではいろんな次元を自在に操ることができると、ディカプリオが説明しているシーンだったと思います。引用元になっている広場のシーンは、探したら長編の本当にラスト5分のところに数秒でしたw

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インセプション」といえば線路に耳をつけて伏せて列車の通過を待つシーン(夢の中に入った主人公は夢の中で死を迎えることで目が覚めるという設定)がありましたが、あれもトルストイアンナ・カレーニナ』の有名なシーンを想起しますから、「インセプション」自体がロシアの様々な作品の影響を強く受けてるのかもしれません。

あと、少し違うかもしれないけど、ディズニーのアニメ映画でも、キャラクターの頭の脳みその部分が透けて別映像が合成されていたり、混乱した時などにいろんな映像が半透明で重なり合いながら消えてを連発するシーンがあり、印象に残っています。もしかしたら古来のフィルム映画の影響があるのかなーなんて思いました。

これらの作品がコレクションだから、横浜に行った時また観られることがあるかもしれません。その機会を待つのもまた楽しみです^^

 

Youtube動画のリンクがきれてしまっていたので貼りなおしました!(2018.5.6)

*1:2012年から全国各地で巡回してるみたいです。写真だからある程度なら同時多発的に時期かぶっても開催できるんですね。http://www.museum.or.jp/modules/jyunkai/index.php?page=article&storyid=71 

あいちトリエンナーレ(2016.9)

あいちトリエンナーレ http://aichitriennale.jp/

この秋の愛知遠征のメインに据えていたイベントですが、ブログでは公立美術館のほうを優先して紹介したかったので、前回・前々回と続いてきましてラストの本記事にてあいちトリエンナーレ2016の感想を書きます。私は第2回(2013年)から、今回で2度目の参加でした。

トリエンナーレ」は「3年ごと」を意味するイタリア語で、国際美術展を指します。このような数年に一度の国際美術展は、1895年のヴェネツィアビエンナーレ(「2年ごと」)に始まり、世界各地で行われています。日本では地域活性化の意図で行政と組んで行われることが多く、関東だけでも横浜や千葉県・市原、さいたま等々で行われています。

2010年にスタートしたあいちトリエンナーレは、今年で第3回です。2016年の今回は港千尋さん監修で、テーマは「虹のキャラヴァンサライ」。キャラヴァンサライは、旅の休憩所の意味だそうです。

 

栄エリア*1

オアシス21を臨む愛知芸術文化センターから、長者町の各建物、伏見の地下街から名古屋市美術館まで、あいちトリエンナーレのメインエリアです。多彩な作品が軒を連ねるので、印象に残った作品を備忘録します。

 

・大巻伸嗣さんの作品がこのエリアに2作品、配されています。

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↑こちらが愛知県美術館の《Echoes-Infinity》のシリーズ。大巻さんの展示空間は空気が音を伝えないかのように静謐で、真っ白な部屋にタイル状のカーペットを敷きつめたところに規則的な模様なステンシル?されていてとてもカラフル(右の画像が細部、ちょうど部屋の角)。光があるからこそ色彩を楽しむことができる。

一方でこの光の尊びからかけ離れた作品が《Liminal Air》でした。こちらは長者町の損保ジャパンビルにあります。ひたすら闇をみつめる展示で、大巻作品のイメージが覆りました。完全に締めきられた室内で、ヴェールのようなものが風ではためいて時々ぼんやりと強まる淡い灯りに白く照らされる。音も声も光もなく、ひたすら「闇」。ぼーっと無になっていると、非常灯の緑の光をじゃまだと感じるほど神経が研ぎ澄まされていることに気がつく。思えば、夜でさえ街灯や建物の照明があるから、日常生活でこんな「闇」は日ごろ経験しません。そんな幻のような光景も"キャラヴァン"の醍醐味かもしれません。

 

名古屋市美術館では、写真を多く観た印象がありました(常設展示にも写真のコレクションが出ていました)。

どの写真を観ても思ったのは、異邦人であるということ。日本の風景をとっていてもそれは海外の人がシャッターをきった写真で、いわゆる作家が”故郷"を撮った写真はほぼありませんでした。それもまたキャラヴァンということで、異国を巡るイメージなのでしょうか。そのことに気がついてからは、どの作品を観る時も、社会性とか地域性のようなものを考えざるを得ませんでした。 

あと伏見エリアということで書いておきますが、伏見の地下街で食べたローストビーフ丼が美味しかったです。お店のお名前を忘れてしまったのだけど、お値段のわりにすごいボリューミーで美味しくて素晴らしいコスパでした。雨の中の散策で手ごろな飲食店も見つけられない程へろへろだった私を救ってくれました(笑)

 

・佐藤翠さんの作品は長者町のビルでは1フロア、大小の2室分を楽しむことができます。昨年の資生堂ギャラリーでの展示に出ていたものも含むのでしょうか。鏡をキャンヴァスに、油彩でクローゼットや、色の連なりで草花の茂みのような模様を描いています。画面が正方形で、どことなくクリムトっぽい。

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作品を観たい一方で、鏡だからつい写り込んだ自分を探してしまったりして、でもその2つが同時に叶えられないジレンマがなんとも示唆的。福田美蘭さんの鏡にアラベスク文様をあしらった作品を思い出しました。色使いが綺麗で見とれてしまうんだけど、どこか切なさが付きまといますね。儚い。

 

・儚いといえば、アートラボあいち長者町の小展示では、荒木由香里さんの作品も観ることができました。前期後期でちょうど展示替えがあったのでラッキーでした。

荒木さんの作品は、以前愛知県美術館の若手アーティストをピックアップしての特集展示で観たことがありました。青、赤、白などある色が寄り集められた巨大なオブジェで、綺麗だなぁと寄ってみるとそれは日常の生活機器なんですね。あるいはその一部部品とか。いわゆるガラクタや廃材の集合体で、美しい死体のようだなと、強烈な印象を受けました。

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↑今回のトリエンナーレでの荒木由香里さんの出品作

今回はその時よりはロックでなかったですが、女性が身に付けるアクセサリー類や飾り、メイクアップに必要なものがごちゃりとひとつの集合体として寄り集められていました。使い込まれていく生活機器しかり、時間の経過でうつろいゆく女性と美の追求との戦い。葛藤のようなものが思い起こされ、美しいんだけどギョッとする。好みの作家さんです。

 

岡崎エリア

名鉄名古屋駅から40分ほどの最寄りの東岡崎駅から、自転車を借りていざ。前回の第2回(2013年)に続き会場となった岡崎シビコに加え、駅から少し離れた石原邸をまわりました。
街から離れた六供は非常に閑静で、石原邸での展示はその空間に溶け込んだものとなっていました。邸宅の蔵には柴田眞理子さんの陶器作品、座敷には田島秀彦さんや、縁側には扉一枚ほどの佐藤翠さんのクローゼットの絵1点がひっそりと置かれていました。

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(左)田島秀彦さんの作品と石原邸の縁側 / (右)縁側のつきあたりにある佐藤翠さんの作品

一方で、岡崎シビコのほうは、前回のよしみで置かれた感が否めませんでした。岡崎エリアは前回新会場となったのですが、今回はその"新会場"の力の入れ方が豊橋のほう(特に開発ビル)に注がれていたのかな。あの空間がただのギャラリースペースと化してしまっていて、あのコンクリート打ちっぱなしの廃フロアで行う意義というか、せっかくの岡崎シビコでやる動機が消えてしまったようで、また展示数が少なかったことも、ここまで来たのに…というちょっとしたガッカリ感に繋がりました。

 

豊橋エリア

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今回初めてトリエンナーレ会場となった豊橋エリアは、農業用水路の上に建てられた水上ビル(本当に道路沿いに延々と続いていました)と、それと平行した商店街が会場となっていました。水上ビルの向こうには山々が…。名古屋駅から豊橋駅まで、特急で1時間ほどです。

街中での展示で興味深いのは、日常の中に作品が溶け込んでいることです。ビル1本を舞台にしている場合は、何気なく利用している施設(ショッピングモールとか)のまったく違った一面を観ることができて、不気味なおもしろさがあります。

商店街にある開発ビルは、10Fから展示のある各フロアを下りていく導線。石田尚志さんは10Fにある文化ホールのワンフロアを使っての展示でした。作品を追って歩いていくと、いつの間にか楽屋→袖→舞台→客席と進んでいる。

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(左・右)石田尚志さんの作品。ステージの画面から、ステージ、客席をよこぎるように伸びています。

無人の劇場はふとすると不気味なんだけど、作品映像の音(音楽ではなく)と色彩の関係が手仕事を進めている感じを彷彿とさせて、気を許すことができればだんだん心地よくなってきて、ずっと眺めてしまいました。

その下の階へと展示は続くのですが、その場所にその作品が置かれている意味がきちんとあったといいますか。

佐々木愛さんの大作は、既存の白いカーテンと呼応していたし、

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(左)佐々木愛さんの作品とカーテン、(右)佐々木愛さん作品のクローズアップ

久門剛史さんは時計、電球、カーテンと窓のフレームなど、使われている素材はとてもシンプルですが、いろいろなモノがそぎ落とされた骨組みのような空間だからこそ幻想的で繊細で、その世界観にひきこまれました。

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(左)(右)それぞれ久門剛史さんの作品

開発ビルの展示に使われていないフロアは、役所、会議室、ショッピングセンター?だったり各々利用されていました。バックヤードに若かりし氷川きよし等身大パネルなどが雑多に置いてあって(笑)そんな同じ建物のお隣さんで、こんな作品世界が繰り広げられているなんて、ちょっとしたファンタジーですね。

 

全体の感想 

あいちトリエンナーレは今年で3回目の開催。前回の「揺れる大地」よりはテーマがとっつきやすく、作品数も絞られこざっばりしていたためまわりやすかったです。別の言い方をすれば点数が少ないという不満にもなり得ますが、私は気に入った作品をじっくり観られる時間的余裕をとることができたので満足でした。

あとは、会場施設の空間をもっともっと有効に生かした展示を観てみたかったです。場所ありき、あるいは作品ありきで、展示構成を固めていくのでしょうから、一筋縄にはいかないと思いますが…。
元々愛知は美術館が好きでよく行く土地ですが、そんな場所の"アートが溶け込んだ日常"/日常の裏にある"非日常"を楽しむことができる祭典だと思います。前はここにあの作品があったなーとか、今回はここは何もないんだーとか。自分でプランを立てて足を運んで全身で経験したから、記憶だけでなく感覚的にも覚えているものなんですね。過去に観た景色を意外と思い出せて、今回自分でも少し驚きました。
住まいが愛知でない私でもこのような体験ができたのですから、日頃から愛知で生活されている/訪れることが頻繁な方であれば、その新鮮さも一入大きいのだろうなと思いました。

あいちトリエンナーレ2016、あっという間で来週10月23日(日)で会期終了です。まだご覧になってない方はラストチャンスです!ぜひふらりと巡ってみてください。

 

※本記事に掲載する画像は、あいちトリエンナーレの会場で撮影したものです。作品によって撮影可否が異なるため、撮影の際には受付あるいは監視スタッフに確認して行っています。※

*1:ちなみに愛知県美術館は、トリエンナーレ期間なので常設展示室なし!すべての展示室がトリエンナーレに使われていました。せっかくの遠征の折、えりすぐりのコレクションで一時を過ごそうと夢想したいものを…残念でした。

名古屋市美術館(2016.9)

前回の「豊田市美術館」記事の続きです。トリエンナーレ会場にもなっている名古屋市美術館の、ここではコレクション展の感想を書きます。

 

名古屋市美術館 http://www.art-museum.city.nagoya.jp/index.shtml

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市営線の伏見駅から歩いていった白川公園の中にあります。名古屋市科学館のシルバーの球体がとても目をひきますが、その向かいにあるのが美術館です。
建築は黒川紀章。前記事の豊田市美術館設計の谷口吉生同様、日本の美術館建築をいくつも手掛けています。一見すると固さの際立つコンクリートのフレームですが、たとえば半地下になっている吹き抜け(写真左手側のガラス張りのところです)のロビーはガラス張りで曲線を描いていて動きがあります。そのロビーからガラスの先に臨むことができるのは、エントランスの四角形を連ねたカクカクしたフレーム。無機質で素朴な公立施設っぽさがある一方で曲線や円形の特徴があり、その対照的な印象が新鮮です。 

 

名品コレクション展II(前期)

館内は広めの展示室3がトリエンナーレ会場、展示室1・2がコレクションでした。コレクション展示は、トリエンナーレのテーマである「虹のキャラヴァンサライ」から旅が意識された構成でした。

まず、常設展示室2には「エグザイル:自由への旅《琉氓のユダヤ》と《北満のエミグラント》」というタイトルが掲げられています。写真作品です。
仲間でゲームをしていたり立ち話をしていたりする、何げない風景やポートレートですが、どれも移民という性を背負った人々。座っているのは簡易な荷物の上だったり、ゲームをしてるのも室内じゃなかったり。安住でない、「外」にいることを意識せざるを得ない作品ばかりでした。

そして常設展示室1は、コレクションの軸として掲げているエコール・ド・パリ、メキシコ美術、現代美術の作品。

エコール・ド・パリではシャガールの《寓話》が出ており、動物たちのいろんな寓話を楽しめました。メキシコ美術は「メキシコへの旅」、現代美術は「時間の旅」と題されていました。

「時間の旅」でおもしろかったのが、杉本博司さんの《Orpheum,California》(1977年、シルバープリント)。いろいろなシアターで撮影されたシリーズのようです。
横長の画面には客席のある一席からステージのほうを眺めたような、シアターの景色が収められています。スクリーンが降りて光っているから映画館とわかりますが、上映中に露光しっぱなしで撮影されているため、スクリーンは真っ白に飛んでしまっています。映像作品と時間は切っても切れない関係にあります。写真という静止画に、映像の"すべて"を収めようとするとこうなるのか。興味深かったですし、客席や建築構造なども一緒に収められており、シアターの概念が詰まった1枚に思えました。 

今回は常設展示室の導線は、通常のルートと反対に設定されていました。いつも出口になる展示室2から入り、出口は一カ所のため展示室1をまわって観終えると同じところから出ていく。どうしてだろうと思ったら、いつも入口になることが多い展示室1入ってすぐのちょっとした広間に、宮島達男さんの《Opposite Circle》が出ていたからでした。

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レッドとグリーンのデジタルカウンターを用いた、宮島さんの代表的なスタイルの作品です。1桁のカウンター10個でひと塊りにまとまっていたような…それがずらりと一列に並べられて円を描いているのだが、これが結構大きくてスペースをまるまる要していました。タイトル通り、円の向かい側(反対側)にあるカウンターと呼応してカウントが続いている……らしい。スペースの端1カ所からしか作品を眺めることができず、作品の周囲を見てまわることができなかったので、目で観てわかることができなかった。

本作制作のための緻密なドローイングも展示されており、がっつり紹介してるなーと思ったら、「コレクション解析学」と題されたシリーズだったようで、今回の常設展では宮島さんのこの作品が特集されていたというわけ。学芸員が1人1作品をピックアップして解析しているようです。

名古屋市美術館はニュースを「アートペーパー」として発行していて、この「コレクション解析学」は全紙面の1/3ほどを占めて掲載されています。その最新号にこの宮島さんの作品も、時間についてのコラムという形でまとめられています。そのことをウェブサイトを見て知ったのですが、最新号は館で配布中とのこと。紙面でもらえばよかった…→ 最新第102号(PDF)

 

コレクション展第II期は、あいちトリエンナーレと会期末を同じく来週10/23(日)までです。ぜひ!

※次記事は「あいちトリエンナーレ」の感想を予定しています。

*1:キャプチャーは「コレクション解析学2016-2017」ページより http://www.art-museum.city.nagoya.jp/kaiseki2016-2017.html 

豊田市美術館(2016.9)

俗に言うシルバーウィーク中に、あいちトリエンナーレのため愛知に行ってまいりました。

美術館の常設展示、日常的な視点から書き残すためのブログにしたいと始めたので、本ブログの皮切りがいきなり催事というのも趣旨と異なってしまうので(苦笑)、トリエンナーレの折に巡った美術館の感想を書こうと思います。

 

豊田市美術館 http://www.museum.toyota.aichi.jp/

JR名古屋駅から市営線で伏見駅伏見駅から鶴舞線に乗り換え、豊田市駅から歩いて10分程度。名古屋から約1時間。愛知環状鉄道の線路沿いのきつい坂をのぼると見えてきます。きついんだけど、この坂をのぼるたびにまた来れた!と感慨深くなる、そんな美術館までの道のりも好きです。いつもこのルートだから、入館がもっぱら裏手の小さな出入口になっちゃうんですけどね(苦笑)。

あいちトリエンナーレのエリア外のため会場にはなっていませんが、愛知まで足を伸ばしたら絶対外せないすばらしい館、豊田市美術館です。

 

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建築は谷口吉生氏。挙母城跡の高台に建てられた館は豊田の歴史とも紐づいています。ピーター・ウォーカーによるランドスケープデザインの敷地内には、その由縁を伝える石碑や、童子苑と呼ばれるお茶室、庭園などがあります。建物2階の屋外にある人工池は息をのむほどで、お天気のいい日はなおのこととても心地良いです。

 

今回訪れた時期はちょうど、9/25まで開催されていた「ジブリの立体建造物展」の会期最終週。1階受付前から廊下を通り、チケット購入列の最後尾はなんと屋外へ続く長蛇の列…。ドアや仕切りが少なく開放的な建物だからただでさえよく音が響くので、この日の喧騒は展示室にいてもわかるほどで、あんなに賑わっている日に当たったのは初めてでした。

 

時間の都合がありジブリ展は回避して、杉戸洋さんの個展「こっぱとあまつぶ」と、常設展示室のみ観覧しました。

杉戸洋さんは特に愛知では知名度のある作家さんだそうです。一見すると幾何学的な画面なのだけど、ずっと見ていると、道とか建物とか街などの見たことのある景色が浮かび上がってくる。色はシンプルでパステル調の優しい色合いなど、ふらりと入るにはちょうどよく、迎え入れてもらえる感じがしました。ジブリの立体建造物展と絡めての開催だったのでしょうかね。

 

常設展示(2016年第2期)

20世紀初頭から現代までの西洋美術の所蔵作品に明るい豊田市美術館の常設展示は、訪れるたびにこんな作品を持っていたのかと驚くことが多い優れたコレクションです。

2F展示室5にコレクションの目玉作品が展示されています。

 

個人的に今回注目した作品は、奈良美智さんのアクリル画でした。初見だと思います。 

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奈良美智 《Dream Time》(1988年)

奈良さんはこんな作品も描かれたんですね。アクリル on canvasの1988年作ということで、初個展から4年後の最初期にあたるでしょうか。どことなく有元利夫さんあたりを彷彿とさせる、ルネサンス初期のような素朴さがあります。

 

そしてクリンガー。

違和感を覚えたのが、腰のあたり。後ろに反った姿勢にしては腹部が薄すぎる。ちょうど半身半馬のケンタウロスみたいに、下半身を馬にしたらちょうど収まりそうな姿勢。

 

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 マックス・クリンガー《裸婦》(1914年)

キャプションがなかったからわからないけど、何かの習作でしょうか。気になる…。

 

 他には、ジブリの特別展と関連した建物がらみで、エッシャーの代表的な版画が何点か出ていました。

入って手前の長い辺の壁は一面がガラスケースになっていて、これは近代の日本画も多く持っているためですが、展示によってはケース内に西洋画がかけられることも多く、ちょっと惜しかったりします。ケース前に壁を立てても狭くならないとは思うのですが。今回はクリムト、シーレ、ココシュカはこのガラスケースの中でした。

 

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(※2015年10月の同館展示室で撮影)
エゴン・シーレ《カール・グリュンヴァルトの肖像》(1917年)
http://www.museum.toyota.aichi.jp/collection/000182.html

シーレは私が卒論、修論でテーマにした画家なのですが、日本では彼の優良な作品とその周辺をコレクションで持っているのは愛知と宮城くらいなので、ここに来れば会えるというのはとても嬉しいことです。
何度観ても飽きることのない色と構造をしています。「感情任せのエロスの画家」…みたいに嘲笑的に捉えられがちな作家ですが、晩年の作品には落ち着きがあります。それまでの彼の作品ではそれこそショッキングなエロスで隠れがちだった緻密な画面構成が、本作ではよく伺えるようになっています。色や筆致は画像だと伝わりづらいですが、実物は図版で見るよりも暗く沈んだ印象はなく、ずっと綺麗な深い藍をしています。

 

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以前、東京国立近代美術館竹内栖鳳展(2013年)をやっていた時期は、この館のコレクション展示室に栖鳳の夫婦のライオンの屏風が出ていました。
栖鳳展は栖鳳展でとても楽しみましたが、その企画展示に出ていてもおかしくないクオリティーの作品を、常設展示のひと気のない部屋でひとり占め状態で観ることができたのはとても貴重な体験でした。

そんなこともあり、大規模な特別企画展が催されている時には、各々の美術館もそれに喚起されて普段は出していない作家の作品を収蔵庫から常設展示室にひっぱりだしてくることが少なくありません。ちょっとマニアックな楽しみ方かもしれますが(笑)混雑してる特別展で観るより、じっくり味わえると思いますよ^^

 

 

※本記事に掲載する画像は、豊田市美術館で撮影したものです。撮影の際には、受付あるいは監視スタッフに確認して行っています。※
※外観の写真など、一部2015年に撮影したものを使っています。お天気が悪くて^^;※