あいちトリエンナーレ(2016.9)
あいちトリエンナーレ http://aichitriennale.jp/
この秋の愛知遠征のメインに据えていたイベントですが、ブログでは公立美術館のほうを優先して紹介したかったので、前回・前々回と続いてきましてラストの本記事にてあいちトリエンナーレ2016の感想を書きます。私は第2回(2013年)から、今回で2度目の参加でした。
「トリエンナーレ」は「3年ごと」を意味するイタリア語で、国際美術展を指します。このような数年に一度の国際美術展は、1895年のヴェネツィア・ビエンナーレ(「2年ごと」)に始まり、世界各地で行われています。日本では地域活性化の意図で行政と組んで行われることが多く、関東だけでも横浜や千葉県・市原、さいたま等々で行われています。
2010年にスタートしたあいちトリエンナーレは、今年で第3回です。2016年の今回は港千尋さん監修で、テーマは「虹のキャラヴァンサライ」。キャラヴァンサライは、旅の休憩所の意味だそうです。
栄エリア*1
オアシス21を臨む愛知芸術文化センターから、長者町の各建物、伏見の地下街から名古屋市美術館まで、あいちトリエンナーレのメインエリアです。多彩な作品が軒を連ねるので、印象に残った作品を備忘録します。
・大巻伸嗣さんの作品がこのエリアに2作品、配されています。
↑こちらが愛知県美術館の《Echoes-Infinity》のシリーズ。大巻さんの展示空間は空気が音を伝えないかのように静謐で、真っ白な部屋にタイル状のカーペットを敷きつめたところに規則的な模様なステンシル?されていてとてもカラフル(右の画像が細部、ちょうど部屋の角)。光があるからこそ色彩を楽しむことができる。
一方でこの光の尊びからかけ離れた作品が《Liminal Air》でした。こちらは長者町の損保ジャパンビルにあります。ひたすら闇をみつめる展示で、大巻作品のイメージが覆りました。完全に締めきられた室内で、ヴェールのようなものが風ではためいて時々ぼんやりと強まる淡い灯りに白く照らされる。音も声も光もなく、ひたすら「闇」。ぼーっと無になっていると、非常灯の緑の光をじゃまだと感じるほど神経が研ぎ澄まされていることに気がつく。思えば、夜でさえ街灯や建物の照明があるから、日常生活でこんな「闇」は日ごろ経験しません。そんな幻のような光景も"キャラヴァン"の醍醐味かもしれません。
・名古屋市美術館では、写真を多く観た印象がありました(常設展示にも写真のコレクションが出ていました)。
どの写真を観ても思ったのは、異邦人であるということ。日本の風景をとっていてもそれは海外の人がシャッターをきった写真で、いわゆる作家が”故郷"を撮った写真はほぼありませんでした。それもまたキャラヴァンということで、異国を巡るイメージなのでしょうか。そのことに気がついてからは、どの作品を観る時も、社会性とか地域性のようなものを考えざるを得ませんでした。
あと伏見エリアということで書いておきますが、伏見の地下街で食べたローストビーフ丼が美味しかったです。お店のお名前を忘れてしまったのだけど、お値段のわりにすごいボリューミーで美味しくて素晴らしいコスパでした。雨の中の散策で手ごろな飲食店も見つけられない程へろへろだった私を救ってくれました(笑)
・佐藤翠さんの作品は長者町のビルでは1フロア、大小の2室分を楽しむことができます。昨年の資生堂ギャラリーでの展示に出ていたものも含むのでしょうか。鏡をキャンヴァスに、油彩でクローゼットや、色の連なりで草花の茂みのような模様を描いています。画面が正方形で、どことなくクリムトっぽい。
作品を観たい一方で、鏡だからつい写り込んだ自分を探してしまったりして、でもその2つが同時に叶えられないジレンマがなんとも示唆的。福田美蘭さんの鏡にアラベスク文様をあしらった作品を思い出しました。色使いが綺麗で見とれてしまうんだけど、どこか切なさが付きまといますね。儚い。
・儚いといえば、アートラボあいち長者町の小展示では、荒木由香里さんの作品も観ることができました。前期後期でちょうど展示替えがあったのでラッキーでした。
荒木さんの作品は、以前愛知県美術館の若手アーティストをピックアップしての特集展示で観たことがありました。青、赤、白などある色が寄り集められた巨大なオブジェで、綺麗だなぁと寄ってみるとそれは日常の生活機器なんですね。あるいはその一部部品とか。いわゆるガラクタや廃材の集合体で、美しい死体のようだなと、強烈な印象を受けました。
↑今回のトリエンナーレでの荒木由香里さんの出品作
今回はその時よりはロックでなかったですが、女性が身に付けるアクセサリー類や飾り、メイクアップに必要なものがごちゃりとひとつの集合体として寄り集められていました。使い込まれていく生活機器しかり、時間の経過でうつろいゆく女性と美の追求との戦い。葛藤のようなものが思い起こされ、美しいんだけどギョッとする。好みの作家さんです。
岡崎エリア
名鉄名古屋駅から40分ほどの最寄りの東岡崎駅から、自転車を借りていざ。前回の第2回(2013年)に続き会場となった岡崎シビコに加え、駅から少し離れた石原邸をまわりました。
街から離れた六供は非常に閑静で、石原邸での展示はその空間に溶け込んだものとなっていました。邸宅の蔵には柴田眞理子さんの陶器作品、座敷には田島秀彦さんや、縁側には扉一枚ほどの佐藤翠さんのクローゼットの絵1点がひっそりと置かれていました。
(左)田島秀彦さんの作品と石原邸の縁側 / (右)縁側のつきあたりにある佐藤翠さんの作品
一方で、岡崎シビコのほうは、前回のよしみで置かれた感が否めませんでした。岡崎エリアは前回新会場となったのですが、今回はその"新会場"の力の入れ方が豊橋のほう(特に開発ビル)に注がれていたのかな。あの空間がただのギャラリースペースと化してしまっていて、あのコンクリート打ちっぱなしの廃フロアで行う意義というか、せっかくの岡崎シビコでやる動機が消えてしまったようで、また展示数が少なかったことも、ここまで来たのに…というちょっとしたガッカリ感に繋がりました。
豊橋エリア
今回初めてトリエンナーレ会場となった豊橋エリアは、農業用水路の上に建てられた水上ビル(本当に道路沿いに延々と続いていました)と、それと平行した商店街が会場となっていました。水上ビルの向こうには山々が…。名古屋駅から豊橋駅まで、特急で1時間ほどです。
街中での展示で興味深いのは、日常の中に作品が溶け込んでいることです。ビル1本を舞台にしている場合は、何気なく利用している施設(ショッピングモールとか)のまったく違った一面を観ることができて、不気味なおもしろさがあります。
商店街にある開発ビルは、10Fから展示のある各フロアを下りていく導線。石田尚志さんは10Fにある文化ホールのワンフロアを使っての展示でした。作品を追って歩いていくと、いつの間にか楽屋→袖→舞台→客席と進んでいる。
(左・右)石田尚志さんの作品。ステージの画面から、ステージ、客席をよこぎるように伸びています。
無人の劇場はふとすると不気味なんだけど、作品映像の音(音楽ではなく)と色彩の関係が手仕事を進めている感じを彷彿とさせて、気を許すことができればだんだん心地よくなってきて、ずっと眺めてしまいました。
その下の階へと展示は続くのですが、その場所にその作品が置かれている意味がきちんとあったといいますか。
佐々木愛さんの大作は、既存の白いカーテンと呼応していたし、
(左)佐々木愛さんの作品とカーテン、(右)佐々木愛さん作品のクローズアップ
久門剛史さんは時計、電球、カーテンと窓のフレームなど、使われている素材はとてもシンプルですが、いろいろなモノがそぎ落とされた骨組みのような空間だからこそ幻想的で繊細で、その世界観にひきこまれました。
(左)(右)それぞれ久門剛史さんの作品
開発ビルの展示に使われていないフロアは、役所、会議室、ショッピングセンター?だったり各々利用されていました。バックヤードに若かりし氷川きよしの等身大パネルなどが雑多に置いてあって(笑)そんな同じ建物のお隣さんで、こんな作品世界が繰り広げられているなんて、ちょっとしたファンタジーですね。
全体の感想
あいちトリエンナーレは今年で3回目の開催。前回の「揺れる大地」よりはテーマがとっつきやすく、作品数も絞られこざっばりしていたためまわりやすかったです。別の言い方をすれば点数が少ないという不満にもなり得ますが、私は気に入った作品をじっくり観られる時間的余裕をとることができたので満足でした。
あとは、会場施設の空間をもっともっと有効に生かした展示を観てみたかったです。場所ありき、あるいは作品ありきで、展示構成を固めていくのでしょうから、一筋縄にはいかないと思いますが…。
元々愛知は美術館が好きでよく行く土地ですが、そんな場所の"アートが溶け込んだ日常"/日常の裏にある"非日常"を楽しむことができる祭典だと思います。前はここにあの作品があったなーとか、今回はここは何もないんだーとか。自分でプランを立てて足を運んで全身で経験したから、記憶だけでなく感覚的にも覚えているものなんですね。過去に観た景色を意外と思い出せて、今回自分でも少し驚きました。
住まいが愛知でない私でもこのような体験ができたのですから、日頃から愛知で生活されている/訪れることが頻繁な方であれば、その新鮮さも一入大きいのだろうなと思いました。
あいちトリエンナーレ2016、あっという間で来週10月23日(日)で会期終了です。まだご覧になってない方はラストチャンスです!ぜひふらりと巡ってみてください。
※本記事に掲載する画像は、あいちトリエンナーレの会場で撮影したものです。作品によって撮影可否が異なるため、撮影の際には受付あるいは監視スタッフに確認して行っています。※